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このページはアダム・フィッシャーさんやハイドン・フィルハーモニーが今まで演奏したことのある、世界でも有名なコンサートホールを紹介します。
ロイヤル・オペラハウス(ロンドン、イギリス)
ロンドンにある世界的に有名なロイヤル・オペラハウスはその地名からコヴェント・ガーデンと呼ばれ、コヴェント・ガーデンの広場に面しています。1732年にオープンした最初の劇場は、演劇とパントマイムの劇場でした。 この劇場で演奏した最初の有名作曲家はヘンデルです。1735年から亡くなるまでの間に何度もこの劇場を訪れ、オペラやオラトリオの初演を行っています。 ロイヤル・オペラハウスはその長い歴史の中で2度も火事により焼失しています。現在の建物は1858年5月15日にマイヤベーヤの「ユグノー教徒」でオープンしました。当時はロイアル・イタリアン・オペラと呼ばれていましたが、フランス物やドイツ物のレパートリーが増え、1892年にロイヤル・オペラと改称しました。 二つの大戦の間には劇場は家具収納庫やダンスホールとして利用されていましたが、1946年2月20日にバレエ「眠れる森の美女」で再開しました。 EUの規定に合わせるために、20世紀末には大規模な改装を行い2年半の間ロイヤル・オペラハウスは閉鎖されていましたが、1999年12月末の締め切り数週間前に劇場は再開しました。 改装前はチケット保有者しか入ることはできませんでしたが、現在は開演の数時間前までは一般客にも公開され、ホワイエを歩いたり劇場レストランで昼食を楽しむことができます。バックステージ・ツアーに参加すれば、建物だけでなく練習するバレリーナの姿を見る機会もあるかもしれません。 フィッシャーさんは2005年のバルトリ主演の「イタリアのトルコ人」他、ロイヤル・オペラで新制作を何回か指揮しています。 (2008/08/01) 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
カタルーニャ音楽堂(バルセロナ、スペイン)
カタルーニャ音楽堂は建築家リュイス・ドメネク・イ・モンタネールにより設計された、アールヌーボー様式のコンサートホールです。所属の合唱団オルフェオ・カタラのために建てられ、1908年2月9日に竣工しました。 2200席のコンサートホールはヨーロッパで唯一、昼間は自然光による照明を利用しています。この天井の豪華なステンドグラスはアントニ・ラガルトのデザインです。 ステージの上にはたくさんの彫刻がありますが、主なテーマは合唱音楽で、この音楽堂は合唱団のために建てられたことを物語っています。 カタルーニャ音楽堂はモンタネールの設計したサン・パウ病院とともに、1997年にユネスコの世界遺産に登録されました。現在は年間50万人以上がここで演奏会を楽しんでいます。フィッシャーさん指揮のオーストリア・ハンガリー・ハイドンフィルハーモニーはここカタリーナ音楽堂の100周年記念演奏会に出演し、ハイドンの名作オラトリオ「天地創造」を演奏しました。 (2008/05/01) 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
ロイヤル・フェスティバルホール(ロンドン、イギリス)
テムズ河の南岸に位置するロイヤル・フェスティバルホールは、ロンドンのクラシック音楽シーンの重要な建物です。このホールはハンガーフォード橋近くのサウスバンクセンターに属します。 ロイヤル・フェスティバルホールはロンドン郡委員会の主催した英国フェスティバルのために建設され、1951年5月3日に竣工しました。設計者レスリー・マーチンのアイディアは「箱の中の卵」で、有名な指揮者、サー・トーマス・ビーチャムも後に「大きな鶏小屋」と呼んでいます。 2005年から2007年にかけて大規模な改装を行い、音響は格段に向上しました。新ホールは昨年6月にヘヴィメタル・バンド、モーターヘッドのコンサートでオープニングを飾りました。 2900席のキャパシティはロックバンドにも十分で、ロイヤル・フェスティバルホールはロンドンフィルの本拠地としてだけでなく、ブリティッシュロックの殿堂としても知られています。公開ホールボリシーで、公演の無い日でもホワイエの大部分を一日中開放しています。ここには心地よいカフェがあり、時には無料の展示や演奏会も開かれます。物価高のロンドンでは、ロイヤル・フェスティバルホールの属するサウスバンクセンターは、低価格のエンターテイメントを求める観光客の人気スポットになっています。 (2008/02/01) 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
トーンハレ(デュッセルドルフ、ドイツ)
デュッセルドルフのライン河沿いのプロムナードを歩くと、旧市街の近くに円形のドームが目に付きます。デュッセルドルフのトーンハレは1926年にプラネタリウムとして建てられました。1970年代にトーンハレはコンサートホールに改造され、以来25年の間に4800公演を開催する文化の中心となりました。2005年には2600万ユーロをかけた改装を行い、音響は格段に向上しましたが、円形と高いドーム天井は今も残っています。 1933席収容する大ホールは、円形の客席でセクションに別れていて、それぞれ別の階段を利用するため、お客さんは階段を上る前に席を確認する必要があります。 天井がとても高く、音が一度上に向かって降りてくるなど演奏者にとっては演奏し難い面もありますが、徴収の拍手は上から降ってくる音のシャワーのように聞えます。 (2007/11/01) 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
フィルハーモニーザール(ベルリン、ドイツ)
ベルリンフィルの本拠地のフィルハーモニーザールは、ドイツの首都ベルリンの最も重要な文化施設の一つです。 建物はドイツの建築家、ハンス・シャウロンによりデザインされました。彼は港町ブレーメンの出身で、ホワイエは船を思わせる構造になっています。 複数の階段により平土間の裕福層と天井桟敷の一般市民を分ける従来の構造を嫌い、シャウロンは入り口と階段を一つにまとめ、ここに来る聴衆は皆平等であることをアピールしています。 ホールは1963年10月15日に、カラヤン指揮のベルリン・フィルの演奏会でオープンしました。フィルハーモニーザールは2240席あり、大きなオーケストラに適しています。数年後隣に建設された室内楽ホールは1180席で、こちらはこの4月にハイドンフィルが演奏しました。 どちらのホールも八角形で、ワインヤード形式の客席が取り囲んでいます。どの席も視界が良く、特別に設けられた壁などが、世界でも最高の音響を作り出しています。 建物の近くにはベルリンの中心地ポツダム広場がありますが、奇妙なことにホールの入り口は反対側を向いています。それは建物が出来た当時はほとんどベルリンの東の端で、現在ポツダム広場になっている部分は何も無かったからです。そのポツダム広場から歩きたくないときは、200番のバスがホールの前に停車します。 (2007/08/01) 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
ライスハレ(ハンブルグ、ドイツ)
港町ハンブルグにはたくさんのエンターテイメントがありますが、ライスハレはハンブルグのクラシック音楽の殿堂と同時に、ポップス音楽の中心でもあります。 ライスハレの建設は1908年に始まり、完成までに4年の歳月を要しました。杮落としは1908年6月4日で、来年100周年を迎えます。 ハンブルグの船主カール・ライスがコンサートホールのために寄付した基金により建設され、当時の優秀な建築家マルティン・ハラーとエミール・メーヴァインの設計でネオ・バロックスタイルの建物が完成しました。 建物は二つのホールがあり、639席の小ホールは室内楽に適しています。 2023席の大ホールはハンブルグフィルやNDR交響楽団など、ハンブルグの殆どのオーケストラが本拠地にしています。ただしハンブルグ交響楽団は2010年にエルプフィルハーモニーが完成した暁には、そちらに移る予定です。 建物の内部には二つの記念碑があり、ブラームスの像は1909年のマックス・クリンガーの作品です。 アダム・フィッシャーはハンブルグフィルやウイーン響客演などでこのホールに登場しています。ハイドンフィルは今回のドイツ・ツアーで初めてライスハレの舞台に立ちました。 (2007/05/01) 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
リーダーハレ(シュトゥットガルト、ドイツ)
シュワーベン地方の中心地、シュトゥットガルトは人口60万人の中都市です。オペラ座と並んでリーダーハレはこの街の文化の重要な建物です。 ロルフ・グートブロドとアドルフ・アベルにより設計させたリーダーハレは、第2次大戦中に破壊された旧コンサートホールの跡地に、1956年に建てられました。 斬新なデザインの客席は、50年以上経った今でもドイツの建築史に残る作品として高く評価されています。建物内には3つのホールがあり、752席のモーツァルトザールは室内楽、1900席のヘーゲルザールはポップコンサートやバレエ公演に、2200席のベートーベンザールはシュトゥットガルトの3つのオーケストラの基地として使われています。地元の団体だけでなく、世界の有名オーケストラが毎年このホールに客演する、ドイツ国内でも有数のクラシック・コンサートホールです。 (2007/02/01) 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
カーネギーホール(ニーヨーク、アメリカ)
7番街と57番の交差点の南東側に立つカーネギーホールは、クラシックのみならずポップスの世界でも有名な、音楽の殿堂です。 寄付主のアンドリュー・カーネギーを記念する建物は、建築家ウイリアム・バーネット・トゥトヒルにより、レンガと石を用いたイタリア・ルネッサンス様式で建てられました。 この建物の中にはメインホール、室内楽ホール、リサイタルホールの3つのホールがあります。 バルコニー付きで2804人を収容するメインホールは、1996年にはヴァイオリニスト、アイサック・スターンに献呈され、アイザックスターン・ホールと改名しました。3階にある室内楽ホールは268席あり、室内楽の演奏会には最適です。 リサイタルホールは1895年からアメリカ舞台芸術アカデミーに貸与され、1960年代まで数多くの団体に利用されました。その後映画館に改装されましたが、1997年以来再びホールとして利用されています。 1891年5月5日の?落としに作曲家チャイコフスキーが演奏して以来、世界の巨匠がこのホールで演奏しています。100年を超える歴史の中で、カーネギーホールは何度かの危機を乗り越えて来ました。1960年代にニューヨークフィルがリンカーンセンターに引越ししたときには、個人所有のホールは売りに出されました。アイザック・スターンなどの著名な音楽家たちが基金を設立し、ニューヨーク市が買い上げることで現在に至っています。 (2006/11/01) 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
芸術宮殿バルトーク国立コンサートホール(ブダペスト、ハンガリー)
150年以上前からハンガリーは、国際的な芸術家が定期的に公演する新しいコンサート会場を願ってきましたが、2005年初頭についにその願いが実現しました。 敷地面積一万平米の芸術宮殿の建物はペスト側のラージマーニョシュ橋の近く、国立劇場の隣に位置しています。宮殿内には国立コンサートホール、祝祭劇場、ルードヴィッヒ博物館の3つのユニットがあり、どれもホワイエを共有しています。ここにはCDショップや本屋、レストラン、カフェなどが営業しています。 ベーラ・バルトーク国立コンサートホールは建物の中央にあるシューボックス型のホールです。外の騒音が伝わらないように地上25メートルに作られたホールは幅25メートル奥行き52メートルで、ゴシック教会ほどの大きさがあります。客席数は立ち見136席を含めて1699席、公演によってはさらに190席を舞台上に設置することが出来ます。 素晴らしいホールが完成したので、事務局はここを舞台にしたプロジェクトを企画しています。フィッシャーさんが主導する「ワーグナーの日」は現在このホールが最も力を入れている演目で、今年の「パルジファル」の成功に続いて、2013年までに全作品を上演する予定です。来年は「リング」の前半2作を上演し、サイクル上演は2008年の計画です。芸術宮殿のインターネットサイトは、http://www.mupa.huです。 (2006/08/01) 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
モーツァルテウム音楽院大ホール(ザルツブルグ、オーストリア)
国際モーツァルト基金は1880年にザルツブルグに創設された非営利団体です。その活動目的はコンサートの企画から、モーツァルト博物館の運営、モーツァルト研究と多岐にわたっています。 モーツァルテウムの建物は1910年から14年にかけてリチャード・ベンデルによって建てられました。ここには2つのコンサートホールとモーツァルトに関するの資料室、管理室事務所、モーツァルテウム音楽院の教室などが設けられています。 モーツァルテウム基金は1956年から、毎年モーツァルトの誕生日の前後にモーツァルテウム大ホールを舞台に演奏会を開催しています。またこのホールは夏のザルツブルグ音楽祭にも利用されています。 800席を収容する大ホールの音響は素晴らしく、ソロリサイタルから室内オーケストラまで各種の演奏会に適しています。また大ホールの脇のホワイエを通って庭に出ると、有名なミラベル庭園の景色を楽しむことが出来ます。 (2006/05/01) 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
国立歌劇場(ベルリン、ドイツ)
18世紀中ごろプロイセン王フリードリッヒ2世が建設を支援した王立宮廷オペラは、1742年の12月7日に「クレオパトラとシーザー」でプレミアを迎えました。1842年にはマイアベーアが劇場支配人に就任し、メンデルスゾーンも度々客演しました。 1842年に最初の建物が焼失した後、建築家カール・フェルディナンド・ラングハウスが2番目の建物を建設しました。19世紀から20世紀の初頭にかけては、時代を代表する多くの指揮者がこの劇場に登場しました。その中には、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、エーリッヒ・クライバー、オットー・クレンペラー、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー、ブルーノ・ワルターなどがいます。 第二次大戦中2度にわたって爆撃され、完全に破壊されました。しかしこの劇場は「ドイツ国立劇場ベルリン」と名前を変え、1945年にワーグナーの「マイスタージンガー」で再開されました。東ドイツ時代も世界に名前を知られた劇場で、統合後はベルリンの劇場の中で最も優れていると言われています。 ロココ様式の客席には1300人を収容し、地下にはしゃれたカフェがあります。しかしながら共産主義の名残かウエイターの数が少なく、休憩時間には長い列ができます。そのため劇場前に立つ移動式のプレッツェル・スタンドはシーズン中にはとても繁盛しています。 (2006/02/01) 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
フェストシュピールハウス大ホール(ザルツブルグ、オーストリア)
ザルツブルグ音楽祭の主会場の一つ、フェストシュピールハウス大ホールは旧市外モーツァルトの生家から5分くらいの所にあります。 モンシェンベルグ山の麓を切り崩して作ったホールは、1960年7月26日に、カラヤンの指揮するリヒャルト・シュトラウス「薔薇の騎士」でオープンしました。 このホールは巨大な舞台空間でも有名です。両翼を含めると幅は100メートル、奥行きは25メートルで、世界でももっとも大きいステージです。このため巨大な舞台装置を使うことも可能ですが、同時に広いスペースを使いこなすのは演出家にとっても難しく、普通の演出では効果が出ないこともあります。 正方形の客席は2179席で、入り口は上の写真のホーフスタールガッセに面しています。
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シュタットハレ(カッセル、ドイツ)
ヨーロッパの中央に位置する街カッセルは現代芸術の祭典「ドキュメンタ」の街としても知られています。そのカッセルのシュタットハレはコングレスパレスとも呼ばれています。 最初のスタットハレは市誕生1000年記念の一環として、1913年に建築されました。アルノ・ウェーバーとポール・シェーファー作の素晴らしいフレスコ画で有名なフェストザールは3000人近い人を収容しました。また、1924年には南側の建物が増築されました。 1992-95年にかけてシュタットハレは大規模な改装工事を行いました。ステージの設備や最新のコンファレンス用設備が設置され、国際会議などには適していますが、残念ながら音響は以前ほど良くは無いとの評判です。 この建物はカッセルの2つの駅、中央駅とヴィルヘルムスヘーエの中間に位置し、カッセル劇場オーケストラが定期演奏会に使用しています。
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ドイツオペラ(ベルリン、ドイツ)
ドイツ統一15年後のベルリンは、ドイツで最も変化の激しい都市です。ベルリンにある3つのオペラ座の一つドイツオペラは、旧西ベルリンのシャルロッテンブルグ地区にあります。 竣工は分裂前の1912年11月7日で、ベートーベンの「フィデリオ」で開幕しました。この劇場は1924年には「シュテッディシェ・テアター」と改名されました。1943年11月23日の大空襲で建物は破壊されたため、オペラの組織は戦後「西側の劇場」に移動し、1961年にベルリン・ドイツオペラとして再開しました。 現在の建物は1957年から61年にフリッツ・ボーンマンにより、破壊された劇場の一部を利用する形で建築され、61年9月24日の「ドン・ジョバンニ」で再開しました。 1885席を有するこの劇場は、ドイツのオペラ史上に残る公演を行ってきました。有名な演出家ケッツ・フリードリッヒが2000年に死すまで、この劇場の支配人でした。 ベルリン市の財政難で援助が大幅に削減され、一時は他のオペラ座との合併の話もありました。この間支配人のツィンマーマンとGMDのティーレマンが辞任してしまいましたが、 2004年9月からはキルステン・ハームスを中心に立て直しています。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
トーンハレ(チューリッヒ、スイス)
スイスのドイツ語圏で最大の街、チューリッヒはクラシック音楽の町としても有名です。フィッシャーさんがしばしば客演するオペラハウスばチューリッヒ湖の東岸に建ち、有名なコンサートホール、トーンハレはリマト河の西岸にあります。 1890年代の歴史的様式のトーンハレは、市立劇場やオペラ座を手がけた建築家、フェルディナンド・フェルナーとヘルマン・ゴットリーブにより設計されました。1895年10月19日のオープニング・コンサートでは、ブラームス自身もその作品55番を指揮しています。 ここを本拠地としているチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団は、実はこのホールが出来る前に結成されています。前回紹介したグラーツのステファニエンザールに似た構造をしている大ホールは1435席、室内楽用の小ホールは636席を備えています。年間50種類以上のプログラムで90公演以上を開催するトーンハレは、スイスの音楽と文化の中心地となっています。 フィッシャーさんはチューリッヒ・オペラ・オーケストラなどと共にトーンハレに出演しています。今年のハイドンフィルのスイスツアーはここから始まりました。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
シュテファイエンザール(グラーツ、オーストリア)
シュタイヤーマルク地方の首都グラーツは、オーストリアの南東部に位置します。人口24万人この街はオーストリア第2の都市です。 街の中心の市庁舎の近くに、コングレス・センターが建っています。有名なカジノと同様に、美しい音響で知られるこのホールもこの建物の中にあります。 ステファニエンザールの名称はルドルフ皇太子夫人ステファニーに因んで名づけられました。このホールはシュタイヤー・ゲゼルシャフトや、シュタイヤー楽友協会主催の演奏会が開かれています。
フィッシャーさんも過去にはグラーツでコレペティトァとして働いているし、ハイドンフィルのメンバーも客演するなど、グラーツには縁があります。今年のハイドンターゲの翌日には、このホールで「オックスフォード」と「驚愕」並びにモーツァルトのクラリネット協奏曲の演奏を行っています。(ソロはウイーンフィルのペーター・シュミードル氏。)このライブは録音され、交響曲は来年CDとして発売される予定です。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
フェストシュピールハウス(バーデンバーデン、ドイツ)
19世紀から高級リゾート地として栄えているバーデンバーデンには、ヨーロッパ各地から毎年たくさんの人々が、有名な温泉を楽しみに、休暇を過ごしています。そのような街では夜の娯楽が重要です。1988年にオープンしたフェストシュピールハウスは、ここに逗留する旅行者のエンターテイメントの中心です。 正面のネオクラシック・スタイルの建物はゴージャスで、オペラや演奏会の雰囲気たっぷりですが、元々は駅舎として利用されていました。ボックスオフィスは駅の出札窓口をそのまま使っているので、窓口の上には今でも「乗車券」と書いてありますが、電車の切符は扱っていません。
実際の劇場の建物は駅舎の後ろに併設されています。ホールの客席は約2500席、パリのバスティーユに続いてヨーロッパで2番目に大きい歌劇場です。大きさだけでなく、数面の舞台や多彩な釣り物など、劇場としての最新設備も整っています。バーデンバーデンは過去にもロシアの王族の保養地であったことから、ロシアと縁が深く、ザンクト・ペテルブルグのマイリンスキー劇場が頻繁にここで公演しています。また1993年以来、カラヤン聖霊降臨祭音楽祭の会場として、クラシック界のスター達の名演の舞台となっています。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
ヴィガドー(ブダペスト、ハンガリー)
ヴィガドーの建物は1859年から1864年の間に建設されました。内部にはオーストリア・ハンガリー帝国の皇族や有名なハンガリー人の胸像があり帝国の文化の象徴でした。 18世紀から既に独立のプロモーターがヴィガドーを利用し、19、20世紀を代表する巨匠達がここで演奏しています。ハンガリー人フランツ・リストはピアニストとしてだけでなく、指揮者としても出演しています。なかでも1875年には、親友ワーグナーとも共演しました。ブラームス、サン・サーンス、ドビュッシーなども演奏し、ドホナーニ、バルトーク、コダーイらは常任作曲家のような存在でした。カラヤン、ワルター、ホロヴィッツ、ルービンシュタインなど、超大物出演者には事欠きません。 ヴィガドーは素晴らしい歴史を持ったホールではありますが、現代の環境は必ずしも完璧とは言えません。時に階下のロックバンドの演奏が、コンサートの邪魔をすることがあります。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
バーデン州立歌劇場(カールスルーエ、ドイツ)
1975年築の劇場は、3つのホールがあり、オペラやコンサートに使われる大ホールは、1500人を収容します。バーデン州立歌劇場は作曲家ヘンデルを重視し、年間を通して数多くの公演を行なっています。2月には国際ヘンデルアカデミーが開催され、ヘンデルの珍しいオペラも上演されます。 この劇場はマンハイムにも近いので、オーケストラの奏者が足りない時など、双方のメンバーがエキストラで参加することも多々あります。そのため時々不思議なことがあるそうです。フィッシャーさんはカールスルーエ時代に「神々の黄昏」を聴く機会がありました。長大なこの作品は金管楽器の負担が大きいので、通常第一幕の後にホルン奏者は交代します。この時も休憩になるとすぐにホルン奏者が出て行き、マンハイム所属のエキストラのホルン奏者が第2幕直前に駆け込んできました。後でわかった事には、この二つの劇場は偶然にも同じ時間に同じ演目を上演していて、お互いにエキストラを依頼していたので、結局ホルン奏者を交換することになってしまったそうです。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
ナツィオナルテアター(ミュンヘン、ドイツ)
フィッシャーさんのキャリアでもこの劇場は忘れることは出来ません。1978年にカール・ベームが病気でキャンセルしたとき、当時29歳のフィッシャーさんが「フィデリオ」の代役を務めました。これがメジャー・オペラハウスのデビューとなり、以来この劇場では、「オテロ」「ルサルカ」「コジ・ファン・トゥッテ」など数多く指揮しています。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
ローゼンガルテン(マンハイム、ドイツ)
モーツァルトザールは約2000人を収容し、マンハイム・アカデミーオーケストラをはじめ、ドイツの主要オーケストラを招いたコンサートを数多く企画しています。2階建ての客席は幅が広く、両サイドは音のバランスが偏りがちですが、全体的に分ステージに近いので迫力ある音楽が楽しめます。 残念ながらステージはそれほど広くなく、マーラーなどの大編成の作品はちょっと狭そうです。フィッシャーさんとアカデミーオーケストラが昨年マーラーの8番を演奏した時には、合唱団のスペースがなく、ステージを前に張り出したため、客席の前列2列が使えなくなってしまいました。 2003/04シーズン、フィッシャーさんはマーラーの「復活」やリヒャルト・シュトラウスなどの大曲をたくさん演奏します。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
楽友協会大ホール(ウイーン・オーストリア)
1870年1月6日に落成されたこのホールは、別名「黄金のホール」とも呼ばれ、当初は金色の装飾が豪華過ぎ、音楽への集中を妨げるのではないかと議論させてきました。壁は数多くの彫刻が飾られ、落成当初に既に他界していた有名作曲家の胸像もあります。 長さ48.80メートル、幅19.10メートル、高さ17.75メートルのホールは1744の客席を持ち、約300の立ち見席と合わせると1回の公演の収用人数は2000人以上です。ただし恒例のニューイヤーコンサートでは、世界中からの申し込みがあるため倍率はかなり高く、よほど幸運でない限り聴く事は出来ません。 前回紹介したボストンのシンフォニーホールと似た構造をしており、音響的には世界一といわれています。ただしその秘訣は謎で、建築工学の技術と偶然の産物と言う人もいます。実際、このホールを完全に複製しても、オリジナルの様にすばらしい音響は達成できなかったそうです。 楽友協会の建物自体は、2001年から今年まで大規模な改装中で、完成の暁には約400人収用のヴィラーホールが新たにオープンします。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
シンフォニー・ホール(ボストン・アメリカ)
当時の音響工学の最先端技術を駆使して造られ、同じ形式の世界三大ホール(他の二つはウイーンの楽友協会大ホールとアムステルダムのコンセルトヘボウ)の中でも最も古い、1900年10月15日にオープンしました。金色のイタリアルネッサンス・デザインの客席は、残響1.9秒というクラシックには最適な音響を実現していますが、2500の座席は体の大きなアメリカ人には小さすぎるという苦情もあるようです。 ボストン交響楽団とボストン・ポッフスオーケストラが本拠地としていて、フィッシャーさんは1984年と85年に、のこのホールに客演しています。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
コンツェルト・ウント・コングレスハレ(バンベルグ、ドイツ)
1946年に、プラハから追放されたプラハ・ドイツオーケストラの音楽家が中心になって結成したバンベルグ交響楽団は、このホールを本拠地にしています。ホワイエには長年バンベルグ響の音楽監督を務めたヨーゼフ・カイベルトの胸像や、ホルスト・シュタインの肖像画がかざられ、この街の育てたオーケストラと往年の巨匠を誇りにしています。客席はワインヤード式で、どの席でも天井に邪魔されること無く、音楽を聴くことが出来ます。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
ウイーン国立歌劇場 (ウイーン、オーストリア)
1968年に建設された建物は、第二次大戦末期の1945年の爆撃により、殆んど建物は焼失してしまいました。戦後1956年に再建され、数々の名演の舞台となってきました。マーラー、リヒャルト・シュトラウス、カラヤンなど、この劇場の指揮者を勤めた音楽家の胸像があり、伝統を物語っています。 約1700の客席はとても豪華で、オペラファンならずとも、一見の価値があります。今シーズンからは、各席に歌詞の翻訳を表示する液晶版が取り付けられ、英語とドイツ語の訳が選択できるようになりました。 正面のロイヤルボックスのすぐ後ろには、ロイヤル・ティールームが作られていて、休憩時間でも高貴な人々のプライバシーが守られるようになっています。現在オーストリア皇帝はいないので、このティールームも一般に貸し出していますが、そのレンタル料は、一説には1分間に付き100ドル以上ということです。 庶民のオペラファンには500以上の立見席があり、コーヒー1杯よりも安い値段でオペラが鑑賞できることを、ウイーン子は誇りにしています。立ち見券を購入する場合は、オペラ座に向かって左側の入り口に、開演数時間前に並びます。 フィッシャーさんはこの劇場のコレペティトァとしても働き、1980年にデビューしました。それ以来ほぼ毎年登場し、数多くの新作やレパートリー公演を指揮しています。また、ハイドンフィルの何人かのメンバーも国立歌劇場管弦楽団に所属し、定期的に演奏しています。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
バイロイト祝祭歌劇場 (バイロイト、ドイツ)
オーケストラピットに蓋がされていて、オーケストラの大音響にも歌手の声が消されないので、ワーグナーの上演に関しては、世界で最高の音響と言われています。客席からピットが見えないので、指揮者も含めてオーケストラは、ここでは燕尾服ではなく、普通の服で演奏します。 歌劇場自体は質素でも、その周りには休憩時間には大賑わいのレストランや、リハーサル室、舞台装置の製作スタジオなど、複数の建物が建設されています。オーケストラピットから別棟のカフェテリアに続く通路には、リヒター以来の歴代の指揮者の写真が飾ってあり、音楽祭の伝統を物語っています。しかしながら、オーケストラは指名手配の写真の連想して、「犯罪者のギャラリー」というあだ名で呼んでいます。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
マンハイム国立劇場(マンハイム、ドイツ)
オペラ劇場の客席の下には舞台とオーケストラピットをあわせたサイズのリハーサル室があり、オーケストラのリハーサルはここで行われます。また、劇場の管理事務所や舞台装置、衣装の製作スタジオなどはすぐ裏手のモーツァルトシュトラーセの建物に収容されており、劇場への運搬は簡単にできるように工夫されています。 フィッシャーさんは今シーズン、「イドメネオ」と「シバの女王」の新製作2つに加え、「薔薇の騎士」や「ニーベルングの指輪」などをマンハイムで指揮する予定です。 (8/01/01/)
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サントリーホール(東京、日本)
このサントリーホールはウイーンフィルとも親しい関係があり、ここを舞台にして、毎年のように来日公演を行っています。ハイドンフィルはここで演奏したことはありませんが、フィッシャーさんはNHK交響楽団初登場の87年のサントリーホール定期公演を始め、ハンガリー国立交響楽団の日本公演で出演しています。最近では98年の東京都交響楽団の定期演奏会の、マーラー交響曲6番の熱演が忘れられません。 東京の繁華街、六本木にある割には、最寄の駅まで徒歩で十数分かかるなど、交通手段に問題がありました。2000年には、待望の地下鉄南北線、六本木一丁目駅がホールのすぐ近くに完成し、アクセスが格段に向上しました。不況に悩む日本ではありますが、このホールではほとんど毎日のように、世界有数の演奏家のコンサートが開かれています。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
クーゼフスキー・ミュージック・シェッド(レノックス、アメリカ)
音楽祭の初期、1930年代は夏の避暑を兼ねて、ボストンから音楽家がやってきて、テント下で演奏しました。ところが、1937年に大嵐がテントを吹き飛ばすというアクシデントがあり、常設の施設の計画がもちあがりました。そこで、地元の大地主タッペン家が土地を寄付し、ボストンの技師ザーリンネンに設計を依頼しました。10万ドルの予算厳守の要求に嫌気がさしたザーリンネンは、「そんな予算では、シェッド(小屋)しかできない。」と言って、途中で辞退してしまいました。その後、地元ストックブリッジの技師ヨーセフ・フランツが計画を引き継ぎ、見事に予算内で完成させました。シェッドの名前はザーリンネンの言葉に由来しています。 屋根の下の席は後方の壁が無いので、反響が少なくピアノの音が硬くなる傾向がありますが、十分満足できる音響です。これに対し、芝生席はスピーカーからの音が主体になってしまいます。しかしながら、避暑地の夏の夜の娯楽として、人々は椅子や食べ物持参でピクニックを楽しみます。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
ドロシー・チャンドラー・パビリオン(ロサンジェルス、アメリカ)
コンツェルトハウス(ウイーン、オーストリア)
コンツェルトハウスには、大ホール、モーツァルトホール、シューベルトハールの3つのホールがあり、ハイドンフィルの出演した大ホールは、約1800席以上の客席があります。ステージの面積は約170平方メートルで追加が可能、クラシック専用のホールとしては最大級に属します。このホールは現在、ウイーン響、ウイーン放送響などが定期演奏会を行う他、数多い外国の団体もここで演奏しています。舞台の下に位置する楽員用の楽屋スペースも充実していて、フルサイズのオーケストラと合唱団を十分に収容することができます。良いホールはどこもそうですが、ここにも信頼できる専属のステージマネージャーがいて、出番前で緊張しているソリストやオーケストラの面倒を見てくれます。指揮者やソリストのコンディションを整えるように、スナックや飲み物を用意したり、オーケストラや合唱団に登壇のタイミングを指示したり、演奏会の前は、忙しく働いています。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
ハリウッドボウル(ロサンジェルス、アメリカ)
客席はボックスシートとベチシートに分けられ、ボックスシートは連続券しか販売されません。通常、ハリウッドの資産家や企業などが4〜6人座れるボックスを買い取り、社員や顧客にプレゼントします。ほとんどのボックスシートでは、開演前に小さなテーブルを持ち込み、ワインやディナーを注文してパーティーを楽しむ光景が見られます。現在の所有者が優先的にチケットを購入するため、ボックスシートは毎年売り切れで、チケットの入手は非常に困難です。 これに対してベンチシートはボックスの後方になるため、視覚や音響の面で問題がありますが、最低価格は1ドルからと、誰でも気軽に楽しめる価格設定になっています。 公共交通機関の少ないロサンジェルスでは、駐車場が不可欠ですが、巨大なハリウッドボウルは収容人数に十分な広さの駐車場がありません。限られたスペースを有効に使うため、公演時には車をぎっしり詰め込んで駐車します。そのため途中で退席しても車は動かせません。初めて行かれる方は十分ご注意下さい。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
エイヴァリー・フィッシャー・ホール(ニューヨーク、アメリカ)
ハイドンフィルは94年にこのホールで行われた、モーストリー・モーツアルト・フェスティバルで、アメリカ・デビューを飾りました。フィッシャーさんは今年の8月6日にも同じフェスティバルに客演します。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
ハンガリー国立歌劇場(ブダペスト、ハンガリー)
1885年に落成した馬蹄形の劇場は、開設当初から約2400人の観客を収容し、防火設備も完備した画期的な劇場でしたが、1980年代に舞台機構などを大幅に改装し、100周年の再オープン後は約1300席になっています。ヨーロッパでも優秀な歌手陣か出演するオペラハウスとして知られており、改装時のこけら落としシーズンには、パヴァロッティやドミンゴを含む豪華キャストが多数出演しました。 1888年から数年間、作曲家のマーラーが音楽監督を務め、黄金時代を築きました。以降、リヒャルト・シュトラウス、フルトヴェングラーなどの巨匠が指揮台に立ち、伝統を築いてきました。劇場付きのオーケストラはブダペスト・フィルハーモニーで、ハイドンフィルのメンバーも数名所属しています。 フィッシャーさんは少年時代、国立歌劇場の斜向かいのアパートに住んでいました。弟のイヴァンと共に、国立歌劇場の児童合唱団に所属し、多くの有名歌手と共演する機会に恵まれました。「カルメン」など、最初と最後にしか出番の無い時は、衣装を着たまま家に戻り、夕食を食べてから再び舞台に出ることもあったそうです。また、モーツアルトの「魔笛」では、三人の子供たちの内、最も難しい第三番として出演しました。 意外にも、指揮台に立ったことはまだありませんが、この3月には、バルトークの「青髭公の城」でデビューを飾ります。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
東京文化会館(東京、日本)
音響はとてもクリアーで、ステージの音がホールの隅々まで響くと評判でしたが、客席が狭かったり、舞台や楽屋の設備が不十分である等の問題も多く、この4月から大幅に改装されることになりました。再開は1999年を予定しています。 日本のオーケストラのみならず、過去に東京を訪れた数多くの有名オーケストラやオペラ座がここで公演しました。昨年のニューヨークのメトロポリタン・オペラの「コシ・ファン・トゥッテ」は記憶に新しいところです。いつの頃からか、来日した出演者たちが舞台裏の壁にサインを残す風習ができ、2000近いサインが残されています。中には、ウイーンフィル、ミラノスカラ座、ベルリンフィルなどのメンバーや、帝王カラヤンの直筆のサインもあります。当初の計画ではこの壁も塗り替えられる予定でしたが、惜しむ声が多く、改装後も残されることになりました。 フィッシャーさんは、1984年の初来日での「青髭公の城」以来、東京都交響楽団を指揮して度々名演を残しています。今年の2月の客演時には、舞台裏の壁にもサインを残してきました。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
オペルンハウス(チューリッヒ、スイス) 数年前に改装された舞台装置を活用し、9月初頭から7月中旬まで、ほぼ毎日公演があります。毎年十演目以上の新制作を行い、チェチリア・バルトリ、エディータ・グルベローバなど、世界第一級の歌手も出演する、ヨーロッパ有数の歌劇場です。 オペルンハウスは1992年以来フィッシャーさんの活動の中心で、年間20公演以上指揮しています。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
メトロポリタン・オペラハウス(ニューヨーク、アメリカ) 10月から4月のシーズン中には約20の演目を日曜以外毎日(土曜は午後と夜の2公演)上演します。ここでは出演者以外にもたくさんの技術スタッフ、コスチューム・デザイナー、お針子さんなどが24時間勤務しています。 通常の舞台の他に、その左右、後方、地下の合計5つのステージがあり、4幕ものの作品でも、あらかじめ全てのセットを組み立てることができます。また8つのせり設けられ、舞台を立体的に使うことができます。
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エステルハーザ (フェルトード、ハンガリー)
ハイドンの当時には、宮殿から独立したオペラハウスがあり、ハイドンのオペラのほとんどはここで初演されました。残念ながら戦災で焼失し、今は跡形もありません。 宮殿内の音楽の間は、宮殿を訪れた女帝マリア・テレジアが演奏を楽しんだことで知られ、ハイドンが告別交響曲を初演したことでも有名です。ハイドンフィルもここで何回か演奏していますが、会場が狭いので、普段は室内楽が中心です。 宮殿の2階の大広間に続く部屋は、ハイドンの遺品などを展示した博物館になっています。ここには、フィッシャーさんのハイドンのLPレコードの展示されており、20年近く前の若き日の姿を見ることができます。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
志度音楽ホール(香川県志度町、日本)
このホールを舞台にハイドンの演奏会が多数開かれていますが、ハイドン・フィルハーモニーは1993年10月の第1回のハイドン音楽祭に出演し、ランパルをソリストに迎えた、モーツアルトのフルート協奏曲や、ハイドンの交響曲などを演奏しました。この模様は日本全国に放映され、大好評でした。 このホールは高台に位置しており、ロビーの窓からは美しい瀬戸内海の風景が楽しめます。客席には傾斜がついていて、後部の座席でも十分楽しめるように工夫されています。また、オーケストラの楽屋がロビーに面しているため、コンサート前や休憩時間に燕尾服を着た楽員と観客が交流するなど、他のコンサートホールでは珍しい光景も見られます。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
ナショナル・アーツ・センター(オタワ、カナダ)
NACオーケストラのコンサートシリーズが開かれるオペラの客席は、列ごとに互い違い設計され、舞台が見易いように工夫されています。また、中央の席が1番で、舞台に向かって右側が偶数席、左側が奇数席になっています。初めは多少混乱しますが、ルールを知っていると、座席表を見なくても席を探せる利点があります。音響もよく、多目的ホールとしては素晴らしいホールの一つです。ただし列の中央に通路が無いので、若い番号の席の人が遅れてくると、その人を通すためにたくさんの人が立ちあがる事になります。 舞台への出入口のすぐ近くには、快適な指揮者控え室があり、ピアノ、オーディオ装置、シャワー等が供え付けてられています。また、舞台裏にはオーケストラが使う小さなカフェテリアがあり、開演前には楽員で賑わっています。廊下には今までに共演した指揮者やソリストの写真が飾られ、NACオーケストラの優秀さを物語っています。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
アトランタ・シンフォニー・ホール(アトランタ・アメリカ)アトランタ交響楽団の本拠地シンフォニーホールは、アライアンス劇場、ハイ・ミュージアム・オブ・アートとともに、コカ・コーラの初代社長を記念した、ロバート・W・ウッドラフ芸術センター内にあります。1800の客席はスペースが広く、ゆったりした反面、反響が少なく音響的に多少問題があります。ステージの前に高さ調節可能な補助ステージがありますが、一般の演奏会では使用されず、ステージと客席の間に大きな空間ができてしまいます。そのため客席後方から見ると遥か彼方で演奏しているように感じられます。また、演奏者にとっても聴衆の反応がわかりにくいので、あまり好評ではないようです。 95年10月はオリンピックを前にしたイノベーション中でしたが、実にアメリカ的な広々としたホールという印象でした。 「世界のコンサートホール」の先頭に戻る
リスト音楽院大ホール(ブダペスト、ハンガリー)
ブダペストの繁華街ペスト地区にあり、オペラ座からも歩ける距離です。3階建ての客席は約1800席あり、舞台の後方にはコーラス用の席が常設されています。このコーラス席は、使用しないときは公開することがあります。ここはサントリーホールよりも指揮者に近く、なんだかオーケストラの一員になった様な気がします。 このホールは、ハンガリー国立交響楽団、ブダペスト放送交響楽団、ブダペスト祝祭管弦楽団などが本拠地としています。
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