世界のコンサートホール

 

このページはアダム・フィッシャーさんやハイドン・フィルハーモニーが今まで演奏したことのある、世界でも有名なコンサートホールを紹介します。

bulletロイヤル・オペラハウス(ロンドン、イギリス)New
bulletカタルーニャ音楽堂(バルセロナ、スペイン)
bulletロイヤル・フェスティバルホール(ロンドン、イギリス)
bulletトーンハレ(デュッセルドルフ、ドイツ)
bulletフィルハーモニーザール(ベルリン、ドイツ)
bulletライスハレ(ハンブルグ、ドイツ)
bulletリーダーハレ(シュトゥットガルト、ドイツ
bulletカーネギーホール(ニーヨーク、アメリカ)
bullet芸術宮殿(ブダペスト、ハンガリー)
bulletモーツァルテウム音楽院大ホール(ザルツブルグ、オーストリア)
bullet国立歌劇場(ベルリン、ドイツ)
bulletフェストシュピールハウス大ホール(ザルツブルグ、オーストリア)
bulletシュタットハレ(カッセル、ドイツ)
bulletドイツオペラ(ベルリン、ドイツ)
bulletトーンハレ(チューリッヒ、スイス)
bulletシュテファイエンザール(グラーツ、オーストリア)
bulletフェストシュピールハウス(バーデンバーデン、ドイツ)
bulletヴィガドー(ブダペスト、ハンガリー)
bulletバーデン州立歌劇場(カールスルーエ、ドイツ)
bulletナツィオナルテアター(ミュンヘン、ドイツ)
bulletローゼンガルテン(マンハイム、ドイツ)
bullet楽友協会大ホール(ウイーン・オーストリア)
bulletシンフォニー・ホール(ボストン・アメリカ)
bulletコンツェルト・ウント・コングレスハレ(バンベルグ、ドイツ)
bulletウイーン国立歌劇場 (ウイーン、オーストリア)
bulletバイロイト祝祭歌劇場 (バイロイト、ドイツ)
bulletマンハイム国立劇場(マンハイム、ドイツ)
bulletサントリーホール(東京、日本)
bulletクーゼフスキー・ミュージック・シェッド(レノックス、アメリカ)
bulletドロシー・チャンドラー・パビリオン(ロサンジェルス、アメリカ)
bulletコンツェルトハウス(ウイーン、オーストリア)
bulletハリウッドボウル(ハリウッド、アメリカ)
bulletエイヴァリー・フィッシャー・ホール(ニューヨーク、アメリカ)
bulletハンガリー国立歌劇場(ブダペストハンガリー)
bullet東京文化会館(東京、日本)
bulletオペルンハウス(チューリッヒ、スイス)
bulletメトロポリタン・オペラハウス(ニューヨーク、アメリカ)
bulletエステルハーザ(フェルト―ド、ハンガリー)
bullet志度音楽ホール(香川県志度町、日本)
bulletナショナル・アーツ・センター(オタワ、カナダ)
bulletシンフォニー・ホール(アトランタ、アメリカ)
bulletリスト音楽院大ホール(ブダペスト、ハンガリー)
bulletハイドンザール(アイゼンシュタット、オーストリア)

ロイヤル・オペラハウス(ロンドン、イギリス)

ロイヤル・オペラハウス(ロンドン、イギリス)

ロンドンにある世界的に有名なロイヤル・オペラハウスはその地名からコヴェント・ガーデンと呼ばれ、コヴェント・ガーデンの広場に面しています。1732年にオープンした最初の劇場は、演劇とパントマイムの劇場でした。 この劇場で演奏した最初の有名作曲家はヘンデルです。1735年から亡くなるまでの間に何度もこの劇場を訪れ、オペラやオラトリオの初演を行っています。

 ロイヤル・オペラハウスはその長い歴史の中で2度も火事により焼失しています。現在の建物は1858年5月15日にマイヤベーヤの「ユグノー教徒」でオープンしました。当時はロイアル・イタリアン・オペラと呼ばれていましたが、フランス物やドイツ物のレパートリーが増え、1892年にロイヤル・オペラと改称しました。

二つの大戦の間には劇場は家具収納庫やダンスホールとして利用されていましたが、1946年2月20日にバレエ「眠れる森の美女」で再開しました。 EUの規定に合わせるために、20世紀末には大規模な改装を行い2年半の間ロイヤル・オペラハウスは閉鎖されていましたが、1999年12月末の締め切り数週間前に劇場は再開しました。

改装前はチケット保有者しか入ることはできませんでしたが、現在は開演の数時間前までは一般客にも公開され、ホワイエを歩いたり劇場レストランで昼食を楽しむことができます。バックステージ・ツアーに参加すれば、建物だけでなく練習するバレリーナの姿を見る機会もあるかもしれません。

フィッシャーさんは2005年のバルトリ主演の「イタリアのトルコ人」他、ロイヤル・オペラで新制作を何回か指揮しています。 (2008/08/01)

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カタルーニャ音楽堂(バルセロナ、スペイン)

カタルーニャ音楽堂(バルセロナ、スペイン)

カタルーニャ音楽堂は建築家リュイス・ドメネク・イ・モンタネールにより設計された、アールヌーボー様式のコンサートホールです。所属の合唱団オルフェオ・カタラのために建てられ、1908年2月9日に竣工しました。

2200席のコンサートホールはヨーロッパで唯一、昼間は自然光による照明を利用しています。この天井の豪華なステンドグラスはアントニ・ラガルトのデザインです。 ステージの上にはたくさんの彫刻がありますが、主なテーマは合唱音楽で、この音楽堂は合唱団のために建てられたことを物語っています。

カタルーニャ音楽堂はモンタネールの設計したサン・パウ病院とともに、1997年にユネスコの世界遺産に登録されました。現在は年間50万人以上がここで演奏会を楽しんでいます。フィッシャーさん指揮のオーストリア・ハンガリー・ハイドンフィルハーモニーはここカタリーナ音楽堂の100周年記念演奏会に出演し、ハイドンの名作オラトリオ「天地創造」を演奏しました。 (2008/05/01)

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ロイヤル・フェスティバルホール(ロンドン、イギリス)

ロイヤル・フェスティバルホール(ロンドン、イギリス)

テムズ河の南岸に位置するロイヤル・フェスティバルホールは、ロンドンのクラシック音楽シーンの重要な建物です。このホールはハンガーフォード橋近くのサウスバンクセンターに属します。

ロイヤル・フェスティバルホールはロンドン郡委員会の主催した英国フェスティバルのために建設され、1951年5月3日に竣工しました。設計者レスリー・マーチンのアイディアは「箱の中の卵」で、有名な指揮者、サー・トーマス・ビーチャムも後に「大きな鶏小屋」と呼んでいます。

2005年から2007年にかけて大規模な改装を行い、音響は格段に向上しました。新ホールは昨年6月にヘヴィメタル・バンド、モーターヘッドのコンサートでオープニングを飾りました。

2900席のキャパシティはロックバンドにも十分で、ロイヤル・フェスティバルホールはロンドンフィルの本拠地としてだけでなく、ブリティッシュロックの殿堂としても知られています。公開ホールボリシーで、公演の無い日でもホワイエの大部分を一日中開放しています。ここには心地よいカフェがあり、時には無料の展示や演奏会も開かれます。物価高のロンドンでは、ロイヤル・フェスティバルホールの属するサウスバンクセンターは、低価格のエンターテイメントを求める観光客の人気スポットになっています。

 (2008/02/01)

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トーンハレ(デュッセルドルフ、ドイツ)

トーンハレ(デュッセルドルフ、ドイツ)

デュッセルドルフのライン河沿いのプロムナードを歩くと、旧市街の近くに円形のドームが目に付きます。デュッセルドルフのトーンハレは1926年にプラネタリウムとして建てられました。1970年代にトーンハレはコンサートホールに改造され、以来25年の間に4800公演を開催する文化の中心となりました。2005年には2600万ユーロをかけた改装を行い、音響は格段に向上しましたが、円形と高いドーム天井は今も残っています。

1933席収容する大ホールは、円形の客席でセクションに別れていて、それぞれ別の階段を利用するため、お客さんは階段を上る前に席を確認する必要があります。 天井がとても高く、音が一度上に向かって降りてくるなど演奏者にとっては演奏し難い面もありますが、徴収の拍手は上から降ってくる音のシャワーのように聞えます。

 (2007/11/01)

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フィルハーモニーザール(ベルリン、ドイツ)

ベルリンのフィルハーモニーはカラヤンのサーカス小屋とも呼ばれた

ベルリンフィルの本拠地のフィルハーモニーザールは、ドイツの首都ベルリンの最も重要な文化施設の一つです。 建物はドイツの建築家、ハンス・シャウロンによりデザインされました。彼は港町ブレーメンの出身で、ホワイエは船を思わせる構造になっています。

複数の階段により平土間の裕福層と天井桟敷の一般市民を分ける従来の構造を嫌い、シャウロンは入り口と階段を一つにまとめ、ここに来る聴衆は皆平等であることをアピールしています。

ホールは1963年10月15日に、カラヤン指揮のベルリン・フィルの演奏会でオープンしました。フィルハーモニーザールは2240席あり、大きなオーケストラに適しています。数年後隣に建設された室内楽ホールは1180席で、こちらはこの4月にハイドンフィルが演奏しました。 どちらのホールも八角形で、ワインヤード形式の客席が取り囲んでいます。どの席も視界が良く、特別に設けられた壁などが、世界でも最高の音響を作り出しています。

建物の近くにはベルリンの中心地ポツダム広場がありますが、奇妙なことにホールの入り口は反対側を向いています。それは建物が出来た当時はほとんどベルリンの東の端で、現在ポツダム広場になっている部分は何も無かったからです。そのポツダム広場から歩きたくないときは、200番のバスがホールの前に停車します。

 (2007/08/01)

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ライスハレ(ハンブルグ、ドイツ)

ハンブルグのライスハレ

港町ハンブルグにはたくさんのエンターテイメントがありますが、ライスハレはハンブルグのクラシック音楽の殿堂と同時に、ポップス音楽の中心でもあります。 ライスハレの建設は1908年に始まり、完成までに4年の歳月を要しました。杮落としは1908年6月4日で、来年100周年を迎えます。

ハンブルグの船主カール・ライスがコンサートホールのために寄付した基金により建設され、当時の優秀な建築家マルティン・ハラーとエミール・メーヴァインの設計でネオ・バロックスタイルの建物が完成しました。 建物は二つのホールがあり、639席の小ホールは室内楽に適しています。

2023席の大ホールはハンブルグフィルやNDR交響楽団など、ハンブルグの殆どのオーケストラが本拠地にしています。ただしハンブルグ交響楽団は2010年にエルプフィルハーモニーが完成した暁には、そちらに移る予定です。

建物の内部には二つの記念碑があり、ブラームスの像は1909年のマックス・クリンガーの作品です。

アダム・フィッシャーはハンブルグフィルやウイーン響客演などでこのホールに登場しています。ハイドンフィルは今回のドイツ・ツアーで初めてライスハレの舞台に立ちました。 (2007/05/01)

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リーダーハレ(シュトゥットガルト、ドイツ)

シュトゥットガルトのリーダーハレ

シュワーベン地方の中心地、シュトゥットガルトは人口60万人の中都市です。オペラ座と並んでリーダーハレはこの街の文化の重要な建物です。 ロルフ・グートブロドとアドルフ・アベルにより設計させたリーダーハレは、第2次大戦中に破壊された旧コンサートホールの跡地に、1956年に建てられました。

斬新なデザインの客席は、50年以上経った今でもドイツの建築史に残る作品として高く評価されています。建物内には3つのホールがあり、752席のモーツァルトザールは室内楽、1900席のヘーゲルザールはポップコンサートやバレエ公演に、2200席のベートーベンザールはシュトゥットガルトの3つのオーケストラの基地として使われています。地元の団体だけでなく、世界の有名オーケストラが毎年このホールに客演する、ドイツ国内でも有数のクラシック・コンサートホールです。 (2007/02/01)

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カーネギーホール(ニーヨーク、アメリカ)

カーネギーホールは世界の殿堂

 7番街と57番の交差点の南東側に立つカーネギーホールは、クラシックのみならずポップスの世界でも有名な、音楽の殿堂です。

寄付主のアンドリュー・カーネギーを記念する建物は、建築家ウイリアム・バーネット・トゥトヒルにより、レンガと石を用いたイタリア・ルネッサンス様式で建てられました。 この建物の中にはメインホール、室内楽ホール、リサイタルホールの3つのホールがあります。

バルコニー付きで2804人を収容するメインホールは、1996年にはヴァイオリニスト、アイサック・スターンに献呈され、アイザックスターン・ホールと改名しました。3階にある室内楽ホールは268席あり、室内楽の演奏会には最適です。

リサイタルホールは1895年からアメリカ舞台芸術アカデミーに貸与され、1960年代まで数多くの団体に利用されました。その後映画館に改装されましたが、1997年以来再びホールとして利用されています。

1891年5月5日の?落としに作曲家チャイコフスキーが演奏して以来、世界の巨匠がこのホールで演奏しています。100年を超える歴史の中で、カーネギーホールは何度かの危機を乗り越えて来ました。1960年代にニューヨークフィルがリンカーンセンターに引越ししたときには、個人所有のホールは売りに出されました。アイザック・スターンなどの著名な音楽家たちが基金を設立し、ニューヨーク市が買い上げることで現在に至っています。 (2006/11/01)

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芸術宮殿バルトーク国立コンサートホール(ブダペスト、ハンガリー)

芸術宮殿バルトーク国立コンサートホール

 150年以上前からハンガリーは、国際的な芸術家が定期的に公演する新しいコンサート会場を願ってきましたが、2005年初頭についにその願いが実現しました。

 敷地面積一万平米の芸術宮殿の建物はペスト側のラージマーニョシュ橋の近く、国立劇場の隣に位置しています。宮殿内には国立コンサートホール、祝祭劇場、ルードヴィッヒ博物館の3つのユニットがあり、どれもホワイエを共有しています。ここにはCDショップや本屋、レストラン、カフェなどが営業しています。

ベーラ・バルトーク国立コンサートホールは建物の中央にあるシューボックス型のホールです。外の騒音が伝わらないように地上25メートルに作られたホールは幅25メートル奥行き52メートルで、ゴシック教会ほどの大きさがあります。客席数は立ち見136席を含めて1699席、公演によってはさらに190席を舞台上に設置することが出来ます。

素晴らしいホールが完成したので、事務局はここを舞台にしたプロジェクトを企画しています。フィッシャーさんが主導する「ワーグナーの日」は現在このホールが最も力を入れている演目で、今年の「パルジファル」の成功に続いて、2013年までに全作品を上演する予定です。来年は「リング」の前半2作を上演し、サイクル上演は2008年の計画です。芸術宮殿のインターネットサイトは、http://www.mupa.huです。 (2006/08/01)

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モーツァルテウム音楽院大ホール(ザルツブルグ、オーストリア)

モーツァルテウム音楽院大ホール

国際モーツァルト基金は1880年にザルツブルグに創設された非営利団体です。その活動目的はコンサートの企画から、モーツァルト博物館の運営、モーツァルト研究と多岐にわたっています。

モーツァルテウムの建物は1910年から14年にかけてリチャード・ベンデルによって建てられました。ここには2つのコンサートホールとモーツァルトに関するの資料室、管理室事務所、モーツァルテウム音楽院の教室などが設けられています。 モーツァルテウム基金は1956年から、毎年モーツァルトの誕生日の前後にモーツァルテウム大ホールを舞台に演奏会を開催しています。またこのホールは夏のザルツブルグ音楽祭にも利用されています。

800席を収容する大ホールの音響は素晴らしく、ソロリサイタルから室内オーケストラまで各種の演奏会に適しています。また大ホールの脇のホワイエを通って庭に出ると、有名なミラベル庭園の景色を楽しむことが出来ます。 (2006/05/01)

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国立歌劇場(ベルリン、ドイツ)

ベルリン国立歌劇場

18世紀中ごろプロイセン王フリードリッヒ2世が建設を支援した王立宮廷オペラは、1742年の12月7日に「クレオパトラとシーザー」でプレミアを迎えました。1842年にはマイアベーアが劇場支配人に就任し、メンデルスゾーンも度々客演しました。

1842年に最初の建物が焼失した後、建築家カール・フェルディナンド・ラングハウスが2番目の建物を建設しました。19世紀から20世紀の初頭にかけては、時代を代表する多くの指揮者がこの劇場に登場しました。その中には、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、エーリッヒ・クライバー、オットー・クレンペラー、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー、ブルーノ・ワルターなどがいます。

第二次大戦中2度にわたって爆撃され、完全に破壊されました。しかしこの劇場は「ドイツ国立劇場ベルリン」と名前を変え、1945年にワーグナーの「マイスタージンガー」で再開されました。東ドイツ時代も世界に名前を知られた劇場で、統合後はベルリンの劇場の中で最も優れていると言われています。 ロココ様式の客席には1300人を収容し、地下にはしゃれたカフェがあります。しかしながら共産主義の名残かウエイターの数が少なく、休憩時間には長い列ができます。そのため劇場前に立つ移動式のプレッツェル・スタンドはシーズン中にはとても繁盛しています。 (2006/02/01)

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フェストシュピールハウス大ホール(ザルツブルグ、オーストリア)

フェストシュピールハウス大ホール(ザルツブルグ、オーストリア)

ザルツブルグ音楽祭の主会場の一つ、フェストシュピールハウス大ホールは旧市外モーツァルトの生家から5分くらいの所にあります。

モンシェンベルグ山の麓を切り崩して作ったホールは、1960年7月26日に、カラヤンの指揮するリヒャルト・シュトラウス「薔薇の騎士」でオープンしました。 このホールは巨大な舞台空間でも有名です。両翼を含めると幅は100メートル、奥行きは25メートルで、世界でももっとも大きいステージです。このため巨大な舞台装置を使うことも可能ですが、同時に広いスペースを使いこなすのは演出家にとっても難しく、普通の演出では効果が出ないこともあります。

正方形の客席は2179席で、入り口は上の写真のホーフスタールガッセに面しています。

 

 

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シュタットハレ(カッセル、ドイツ)

シュタットハレ(カッセル、ドイツ)

ヨーロッパの中央に位置する街カッセルは現代芸術の祭典「ドキュメンタ」の街としても知られています。そのカッセルのシュタットハレはコングレスパレスとも呼ばれています。

最初のスタットハレは市誕生1000年記念の一環として、1913年に建築されました。アルノ・ウェーバーとポール・シェーファー作の素晴らしいフレスコ画で有名なフェストザールは3000人近い人を収容しました。また、1924年には南側の建物が増築されました。

1992-95年にかけてシュタットハレは大規模な改装工事を行いました。ステージの設備や最新のコンファレンス用設備が設置され、国際会議などには適していますが、残念ながら音響は以前ほど良くは無いとの評判です。

 この建物はカッセルの2つの駅、中央駅とヴィルヘルムスヘーエの中間に位置し、カッセル劇場オーケストラが定期演奏会に使用しています。

 

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ドイツオペラ(ベルリン、ドイツ)

ベルリン・ドイツオペラ

ドイツ統一15年後のベルリンは、ドイツで最も変化の激しい都市です。ベルリンにある3つのオペラ座の一つドイツオペラは、旧西ベルリンのシャルロッテンブルグ地区にあります。

竣工は分裂前の1912年11月7日で、ベートーベンの「フィデリオ」で開幕しました。この劇場は1924年には「シュテッディシェ・テアター」と改名されました。1943年11月23日の大空襲で建物は破壊されたため、オペラの組織は戦後「西側の劇場」に移動し、1961年にベルリン・ドイツオペラとして再開しました。

現在の建物は1957年から61年にフリッツ・ボーンマンにより、破壊された劇場の一部を利用する形で建築され、61年9月24日の「ドン・ジョバンニ」で再開しました。

1885席を有するこの劇場は、ドイツのオペラ史上に残る公演を行ってきました。有名な演出家ケッツ・フリードリッヒが2000年に死すまで、この劇場の支配人でした。

ベルリン市の財政難で援助が大幅に削減され、一時は他のオペラ座との合併の話もありました。この間支配人のツィンマーマンとGMDのティーレマンが辞任してしまいましたが、 2004年9月からはキルステン・ハームスを中心に立て直しています。

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トーンハレ(チューリッヒ、スイス)

チューリッヒのトーンハレ

 スイスのドイツ語圏で最大の街、チューリッヒはクラシック音楽の町としても有名です。フィッシャーさんがしばしば客演するオペラハウスばチューリッヒ湖の東岸に建ち、有名なコンサートホール、トーンハレはリマト河の西岸にあります。

 1890年代の歴史的様式のトーンハレは、市立劇場やオペラ座を手がけた建築家、フェルディナンド・フェルナーとヘルマン・ゴットリーブにより設計されました。1895年10月19日のオープニング・コンサートでは、ブラームス自身もその作品55番を指揮しています。

 ここを本拠地としているチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団は、実はこのホールが出来る前に結成されています。前回紹介したグラーツのステファニエンザールに似た構造をしている大ホールは1435席、室内楽用の小ホールは636席を備えています。年間50種類以上のプログラムで90公演以上を開催するトーンハレは、スイスの音楽と文化の中心地となっています。

 フィッシャーさんはチューリッヒ・オペラ・オーケストラなどと共にトーンハレに出演しています。今年のハイドンフィルのスイスツアーはここから始まりました。

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シュテファイエンザール(グラーツ、オーストリア)

グラーツのシュテファニエンザール

シュタイヤーマルク地方の首都グラーツは、オーストリアの南東部に位置します。人口24万人この街はオーストリア第2の都市です。 街の中心の市庁舎の近くに、コングレス・センターが建っています。有名なカジノと同様に、美しい音響で知られるこのホールもこの建物の中にあります。

ステファニエンザールの名称はルドルフ皇太子夫人ステファニーに因んで名づけられました。このホールはシュタイヤー・ゲゼルシャフトや、シュタイヤー楽友協会主催の演奏会が開かれています。

 フィッシャーさんも過去にはグラーツでコレペティトァとして働いているし、ハイドンフィルのメンバーも客演するなど、グラーツには縁があります。今年のハイドンターゲの翌日には、このホールで「オックスフォード」と「驚愕」並びにモーツァルトのクラリネット協奏曲の演奏を行っています。(ソロはウイーンフィルのペーター・シュミードル氏。)このライブは録音され、交響曲は来年CDとして発売される予定です。

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フェストシュピールハウス(バーデンバーデン、ドイツ)

フェストシュピールハウス(バーデンバーデン、ドイツ)

19世紀から高級リゾート地として栄えているバーデンバーデンには、ヨーロッパ各地から毎年たくさんの人々が、有名な温泉を楽しみに、休暇を過ごしています。そのような街では夜の娯楽が重要です。1988年にオープンしたフェストシュピールハウスは、ここに逗留する旅行者のエンターテイメントの中心です。

正面のネオクラシック・スタイルの建物はゴージャスで、オペラや演奏会の雰囲気たっぷりですが、元々は駅舎として利用されていました。ボックスオフィスは駅の出札窓口をそのまま使っているので、窓口の上には今でも「乗車券」と書いてありますが、電車の切符は扱っていません。

実際の劇場の建物は駅舎の後ろに併設されています。ホールの客席は約2500席、パリのバスティーユに続いてヨーロッパで2番目に大きい歌劇場です。大きさだけでなく、数面の舞台や多彩な釣り物など、劇場としての最新設備も整っています。バーデンバーデンは過去にもロシアの王族の保養地であったことから、ロシアと縁が深く、ザンクト・ペテルブルグのマイリンスキー劇場が頻繁にここで公演しています。また1993年以来、カラヤン聖霊降臨祭音楽祭の会場として、クラシック界のスター達の名演の舞台となっています。

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ヴィガドー(ブダペスト、ハンガリー)

ヴィガドー(ブダペスト、ハンガリー)ブダペストには幾つかの実力あるオーケストラが存在しますが、音響の良いコンサートホールというと、東京ほどはありません。このヴィガドーはブダペストのオーケストラが定常的に出演するコンサートホールの一つです。

ヴィガドーの建物は1859年から1864年の間に建設されました。内部にはオーストリア・ハンガリー帝国の皇族や有名なハンガリー人の胸像があり帝国の文化の象徴でした。
第二次大戦中の爆撃で、ブダペストの建物は殆んど倒壊し、ヴィガドーも破壊されてしまいました。現在の建物の再建は1970年代に始まり、80年代に完成しました。

18世紀から既に独立のプロモーターがヴィガドーを利用し、19、20世紀を代表する巨匠達がここで演奏しています。ハンガリー人フランツ・リストはピアニストとしてだけでなく、指揮者としても出演しています。なかでも1875年には、親友ワーグナーとも共演しました。ブラームス、サン・サーンス、ドビュッシーなども演奏し、ドホナーニ、バルトーク、コダーイらは常任作曲家のような存在でした。カラヤン、ワルター、ホロヴィッツ、ルービンシュタインなど、超大物出演者には事欠きません。

ヴィガドーは素晴らしい歴史を持ったホールではありますが、現代の環境は必ずしも完璧とは言えません。時に階下のロックバンドの演奏が、コンサートの邪魔をすることがあります。

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バーデン州立歌劇場(カールスルーエ、ドイツ)

バーデン州立歌劇場(カールスルーエ、ドイツ)ドイツ南西部のバーデン・ヴュルテンベルグ州にはマンハイムを始め、数多くの歌劇場があります。この州とフィッシャーさんと親密な関係は、カールスルーエから始まりました。二十代の後半、フィッシャーさんはバーデン州立歌劇場の指揮者の一人でした。

1975年築の劇場は、3つのホールがあり、オペラやコンサートに使われる大ホールは、1500人を収容します。バーデン州立歌劇場は作曲家ヘンデルを重視し、年間を通して数多くの公演を行なっています。2月には国際ヘンデルアカデミーが開催され、ヘンデルの珍しいオペラも上演されます。

この劇場はマンハイムにも近いので、オーケストラの奏者が足りない時など、双方のメンバーがエキストラで参加することも多々あります。そのため時々不思議なことがあるそうです。フィッシャーさんはカールスルーエ時代に「神々の黄昏」を聴く機会がありました。長大なこの作品は金管楽器の負担が大きいので、通常第一幕の後にホルン奏者は交代します。この時も休憩になるとすぐにホルン奏者が出て行き、マンハイム所属のエキストラのホルン奏者が第2幕直前に駆け込んできました。後でわかった事には、この二つの劇場は偶然にも同じ時間に同じ演目を上演していて、お互いにエキストラを依頼していたので、結局ホルン奏者を交換することになってしまったそうです。

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ナツィオナルテアター(ミュンヘン、ドイツ)

ミュンヘンのナツィオナルテアタードイツ国内には州立歌劇場(Staatsoper)は数多くありますが、国立劇場(Nationaltheater)と呼ばれる劇場はマンハイム、ワイマールとここミュンヘンの3箇所しかありません。1812年10月12日にオープン以来、この劇場は2回立て直しています。1823年の公演中の出火で焼失した時には、ミュンヘン市のサポートにより2年後に再開しました。第2次大戦末期の爆撃により劇場施設が破壊された時は、市民の募金により1963年にオリジナルの建物を復元して再開しました。過去にはバイエルンの王家の後援で、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を初演するなど、この劇場はオペラ史上でも重要な役割を果たしています。

フィッシャーさんのキャリアでもこの劇場は忘れることは出来ません。1978年にカール・ベームが病気でキャンセルしたとき、当時29歳のフィッシャーさんが「フィデリオ」の代役を務めました。これがメジャー・オペラハウスのデビューとなり、以来この劇場では、「オテロ」「ルサルカ」「コジ・ファン・トゥッテ」など数多く指揮しています。

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ローゼンガルテン(マンハイム、ドイツ)

マンハイムのローゼンガルテンフィッシャーさんが音楽家督を務めるマンハイム国立劇場オーケストラは毎月1回、マンハイム・アカデミーオーケストラとしてコンサート活動を行ないます。その会場は国立劇場から徒歩でも10分弱、マンハイムのシンボルであるヴァッサートゥルムに面した、ローゼンガルテンです。ここは定期演奏会の会場であるモーツァルトザールと、室内楽や夏の音楽セミナーのコンサートに使われる、スタミツザールの二つのホールに加え、展示会用の部屋や広いホワイエがある総合施設です。

モーツァルトザールは約2000人を収容し、マンハイム・アカデミーオーケストラをはじめ、ドイツの主要オーケストラを招いたコンサートを数多く企画しています。2階建ての客席は幅が広く、両サイドは音のバランスが偏りがちですが、全体的に分ステージに近いので迫力ある音楽が楽しめます。

残念ながらステージはそれほど広くなく、マーラーなどの大編成の作品はちょっと狭そうです。フィッシャーさんとアカデミーオーケストラが昨年マーラーの8番を演奏した時には、合唱団のスペースがなく、ステージを前に張り出したため、客席の前列2列が使えなくなってしまいました。

2003/04シーズン、フィッシャーさんはマーラーの「復活」やリヒャルト・シュトラウスなどの大曲をたくさん演奏します。

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楽友協会大ホール(ウイーン・オーストリア)

楽友協会大ホールの客席クラシックファンならおなじみ、ウイーンフィルのニューイヤー・コンサートの会場である、楽友協会大ホールは、国立歌劇場から歩いて数分、地下鉄カールスプラッツ駅の近くにあります。

1870年1月6日に落成されたこのホールは、別名「黄金のホール」とも呼ばれ、当初は金色の装飾が豪華過ぎ、音楽への集中を妨げるのではないかと議論させてきました。壁は数多くの彫刻が飾られ、落成当初に既に他界していた有名作曲家の胸像もあります。

長さ48.80メートル、幅19.10メートル、高さ17.75メートルのホールは1744の客席を持ち、約300の立ち見席と合わせると1回の公演の収用人数は2000人以上です。ただし恒例のニューイヤーコンサートでは、世界中からの申し込みがあるため倍率はかなり高く、よほど幸運でない限り聴く事は出来ません。

前回紹介したボストンのシンフォニーホールと似た構造をしており、音響的には世界一といわれています。ただしその秘訣は謎で、建築工学の技術と偶然の産物と言う人もいます。実際、このホールを完全に複製しても、オリジナルの様にすばらしい音響は達成できなかったそうです。

楽友協会の建物自体は、2001年から今年まで大規模な改装中で、完成の暁には約400人収用のヴィラーホールが新たにオープンします。

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シンフォニー・ホール(ボストン・アメリカ)

ボストン・シンフォニーホールのクリスマスコンサートアメリカのみならず、世界でも有数の音響を誇るボストン・シンフォニーホールは、マサチューセッツ州の州都ボストンの中心地、プルーデンシャル・センター近くに位置します。

当時の音響工学の最先端技術を駆使して造られ、同じ形式の世界三大ホール(他の二つはウイーンの楽友協会大ホールとアムステルダムのコンセルトヘボウ)の中でも最も古い、1900年10月15日にオープンしました。金色のイタリアルネッサンス・デザインの客席は、残響1.9秒というクラシックには最適な音響を実現していますが、2500の座席は体の大きなアメリカ人には小さすぎるという苦情もあるようです。

ボストン交響楽団とボストン・ポッフスオーケストラが本拠地としていて、フィッシャーさんは1984年と85年に、のこのホールに客演しています。

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コンツェルト・ウント・コングレスハレ(バンベルグ、ドイツ)

コンツェルト・ウント・コングレスハレドイツ、バイエルン州北部の都市、バンベルグは中世の町並みや城壁の残る、ドイツでも有数の美しい都市です。オットー・フリードリッヒ大学や教会のドームなど、歴史的な建物もたくさんあります。旧市街から徒歩10分、ヴェルクカナル沿いの近代的な建物が、バンベルグのコンツェルト・ウント・コングレスハレです。ここには約1200人を収容する大ホールと、600人程度の小ホールの二つがあり、コンサートやコンファレンスなどに使われています。

1946年に、プラハから追放されたプラハ・ドイツオーケストラの音楽家が中心になって結成したバンベルグ交響楽団は、このホールを本拠地にしています。ホワイエには長年バンベルグ響の音楽監督を務めたヨーゼフ・カイベルトの胸像や、ホルスト・シュタインの肖像画がかざられ、この街の育てたオーケストラと往年の巨匠を誇りにしています。客席はワインヤード式で、どの席でも天井に邪魔されること無く、音楽を聴くことが出来ます。

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ウイーン国立歌劇場 (ウイーン、オーストリア)

ウイーン国立歌劇場世界のオペラハウスの中でも、伝統的で高品質なプロダクションが常にトップクラスを維持するウイーン国立歌劇場は、ウイーンの旧市街に位置します。高級店の並ぶケルントナー・シュトラーセ側の入り口からほぼ毎日劇場のガイドツアーもあり、音楽の都ウイーンの人気スポットでもあります。

1968年に建設された建物は、第二次大戦末期の1945年の爆撃により、殆んど建物は焼失してしまいました。戦後1956年に再建され、数々の名演の舞台となってきました。マーラー、リヒャルト・シュトラウス、カラヤンなど、この劇場の指揮者を勤めた音楽家の胸像があり、伝統を物語っています。

約1700の客席はとても豪華で、オペラファンならずとも、一見の価値があります。今シーズンからは、各席に歌詞の翻訳を表示する液晶版が取り付けられ、英語とドイツ語の訳が選択できるようになりました。

正面のロイヤルボックスのすぐ後ろには、ロイヤル・ティールームが作られていて、休憩時間でも高貴な人々のプライバシーが守られるようになっています。現在オーストリア皇帝はいないので、このティールームも一般に貸し出していますが、そのレンタル料は、一説には1分間に付き100ドル以上ということです。

庶民のオペラファンには500以上の立見席があり、コーヒー1杯よりも安い値段でオペラが鑑賞できることを、ウイーン子は誇りにしています。立ち見券を購入する場合は、オペラ座に向かって左側の入り口に、開演数時間前に並びます。

フィッシャーさんはこの劇場のコレペティトァとしても働き、1980年にデビューしました。それ以来ほぼ毎年登場し、数多くの新作やレパートリー公演を指揮しています。また、ハイドンフィルの何人かのメンバーも国立歌劇場管弦楽団に所属し、定期的に演奏しています。

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バイロイト祝祭歌劇場 (バイロイト、ドイツ)

バイロイト祝祭歌劇場作曲家ワーグナー自身が建設し、ワーグナーの作品だけが上演される特別の劇場が、バイロイトの祝祭歌劇場です。美しい公園の先の丘の上にあり、別名「緑の丘」とも呼ばれています。毎年夏に開かれる音楽祭の初日には、ドイツ内外から有名人が招かれ、まるでアカデミー賞授賞式の様に賑わいます。しかしながら、建物自体は音楽第一主義で、装飾はとても質素です。2000を越える客席はベンチの様に硬く、長いワーグナーのオペラには適しません。そのため、華やかに着飾った人々の殆んどが、服装には不似合いなクッションを持ち込みます。

オーケストラピットに蓋がされていて、オーケストラの大音響にも歌手の声が消されないので、ワーグナーの上演に関しては、世界で最高の音響と言われています。客席からピットが見えないので、指揮者も含めてオーケストラは、ここでは燕尾服ではなく、普通の服で演奏します。

歌劇場自体は質素でも、その周りには休憩時間には大賑わいのレストランや、リハーサル室、舞台装置の製作スタジオなど、複数の建物が建設されています。オーケストラピットから別棟のカフェテリアに続く通路には、リヒター以来の歴代の指揮者の写真が飾ってあり、音楽祭の伝統を物語っています。しかしながら、オーケストラは指名手配の写真の連想して、「犯罪者のギャラリー」というあだ名で呼んでいます。

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マンハイム国立劇場(マンハイム、ドイツ)

マンハイム国立劇場昨年10月からフィッシャーさんの本拠地になっている、マンハイム国立劇場は、200年以上の歴史を誇ります。マンハイムの環状道路のすぐ外側にある建物には、オペラ劇場と、演劇用の劇場の二つが並んでいます。オペラ劇場は正面入り口に向かって右側で、約1200人を収容します。マンハイムはライン河にも面しており、ニーベルングの指輪をはじめ、上質のワーグナーの上演でも知られていますが、この劇場もバイロイトのフェストシュピールハウスに倣ってか、中央に通路がありません。

オペラ劇場の客席の下には舞台とオーケストラピットをあわせたサイズのリハーサル室があり、オーケストラのリハーサルはここで行われます。また、劇場の管理事務所や舞台装置、衣装の製作スタジオなどはすぐ裏手のモーツァルトシュトラーセの建物に収容されており、劇場への運搬は簡単にできるように工夫されています。

フィッシャーさんは今シーズン、「イドメネオ」と「シバの女王」の新製作2つに加え、「薔薇の騎士」や「ニーベルングの指輪」などをマンハイムで指揮する予定です。 (8/01/01/)

 

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サントリーホール(東京、日本

サントリーホール前のカラヤン1980年後半から90年代前半にかけて、日本ではクラシック専用コンサートホールの建設が最盛期を迎えましたが、その先駆者的な役割を果たしたのが、このサントリーホールです。大阪の「ザ・シンフォニーホール」と並んで、日本を代表するホールは、帝王カラヤンが設計に関与しただけあり、音響的にも世界で有数のホールです。ベルリンのフィルハーモニー・ホールをモデルにしたワインヤード型の客席は2000人を収容し、隅々まで暖かい音色が響くよう、木の椅子を使うなど工夫されています。

このサントリーホールはウイーンフィルとも親しい関係があり、ここを舞台にして、毎年のように来日公演を行っています。ハイドンフィルはここで演奏したことはありませんが、フィッシャーさんはNHK交響楽団初登場の87年のサントリーホール定期公演を始め、ハンガリー国立交響楽団の日本公演で出演しています。最近では98年の東京都交響楽団の定期演奏会の、マーラー交響曲6番の熱演が忘れられません。

東京の繁華街、六本木にある割には、最寄の駅まで徒歩で十数分かかるなど、交通手段に問題がありました。2000年には、待望の地下鉄南北線、六本木一丁目駅がホールのすぐ近くに完成し、アクセスが格段に向上しました。不況に悩む日本ではありますが、このホールではほとんど毎日のように、世界有数の演奏家のコンサートが開かれています。

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クーゼフスキー・ミュージック・シェッド(レノックス、アメリカ)

クーゼフスキー・ミュージック・シェッドアメリカの有名なタングルウッド音楽祭のタングルウッドとは、マサチューセッツ州西部にあるボストン響の所有地の名称で、街の名前ではありません。ここには複数のコンサート施設がありますが、その中の最大の劇場が、クーゼフスキー・ミュージック・シェッドです。屋根のある部分には5100席、後方の野外芝生席もあわせると15000人以上を収容します。

音楽祭の初期、1930年代は夏の避暑を兼ねて、ボストンから音楽家がやってきて、テント下で演奏しました。ところが、1937年に大嵐がテントを吹き飛ばすというアクシデントがあり、常設の施設の計画がもちあがりました。そこで、地元の大地主タッペン家が土地を寄付し、ボストンの技師ザーリンネンに設計を依頼しました。10万ドルの予算厳守の要求に嫌気がさしたザーリンネンは、「そんな予算では、シェッド(小屋)しかできない。」と言って、途中で辞退してしまいました。その後、地元ストックブリッジの技師ヨーセフ・フランツが計画を引き継ぎ、見事に予算内で完成させました。シェッドの名前はザーリンネンの言葉に由来しています。

屋根の下の席は後方の壁が無いので、反響が少なくピアノの音が硬くなる傾向がありますが、十分満足できる音響です。これに対し、芝生席はスピーカーからの音が主体になってしまいます。しかしながら、避暑地の夏の夜の娯楽として、人々は椅子や食べ物持参でピクニックを楽しみます。

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ドロシー・チャンドラー・パビリオン(ロサンジェルス、アメリカ)


ドロシー・チャンドラー・パビリオンのある、ミュージックセンター
西海岸の大都市、ロサンジェルスのグランド・アヴェニューと一番街の交差点には、ミュージックセンターが建っています。この中には、3つのホールがあり、ドロシー・チャンドラー・パビリオンはその中の最大のホールです。平土間から4階席まで合わせて3086席あり、ロサンジェルス・フィルハーモニーとともに、ドミンゴの率いるロサンジェルス・オペラの本拠地として、南カリフォルニアの舞台芸術の拠点となっています。市庁舎やメキシコ人のLA最初の居住地、リトルトーキョーなど、ビジネス・観光地にも近く、平日は賑わっていますが、土日は周囲の店も休みで、比較的静かです。


 ロサンジェルス市の整備に協力した、LAタイムス社長夫人にちなんで名づけられたホールですが、コンサートには大きすぎるので、現在建設中のウォルト・ディズニー・ホールが完成した暁には、LAフィルはそちらに移る予定です。

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コンツェルトハウス(ウイーン、オーストリア)


コンツェルトハウス
国立オペラ座や楽友協会と並んで、ウイーンの音楽の中心になっているコンツェルトハウスは、1913年皇帝フランツ・ヨーゼフによって設立されました。以来、「高級な音楽の教養の場、芸術の結晶、音楽のそしてウイーンのための建物」をモットーに、年間300以上の公演を主催しています。また、専属の団体ムジカ・ジュヴェンティティスなど、若手やアマチュアの音楽家にも公開演奏の場を提供しています。

コンツェルトハウスには、大ホール、モーツァルトホール、シューベルトハールの3つのホールがあり、ハイドンフィルの出演した大ホールは、約1800席以上の客席があります。ステージの面積は約170平方メートルで追加が可能、クラシック専用のホールとしては最大級に属します。このホールは現在、ウイーン響、ウイーン放送響などが定期演奏会を行う他、数多い外国の団体もここで演奏しています。舞台の下に位置する楽員用の楽屋スペースも充実していて、フルサイズのオーケストラと合唱団を十分に収容することができます。良いホールはどこもそうですが、ここにも信頼できる専属のステージマネージャーがいて、出番前で緊張しているソリストやオーケストラの面倒を見てくれます。指揮者やソリストのコンディションを整えるように、スナックや飲み物を用意したり、オーケストラや合唱団に登壇のタイミングを指示したり、演奏会の前は、忙しく働いています。

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ハリウッドボウル(ロサンジェルス、アメリカ)


ハリウッドボウル
世界でも最大級の野外劇場、ハリウッドボウルはロサンジェルスの中心部から車で30分ほどのところにあります。1922年にオープンした劇場は約1万8千人を収容し、夏の間ほぼ毎日、ジャズ、クラシック、ポップスなどのコンサートが開かれます。ストコウスキー、カラヤン・バーンスタインなどの有名指揮者だけでなく、1964年にはポップスター、ビートルズも出演しました。ロサンジェルス・フィルハーモニックの夏の本拠地として知られていますが、1991年にはその名前を冠したハリウッドボウル・オーケストラが創立され、ポップス・コンサートを担当しています。

 客席はボックスシートとベチシートに分けられ、ボックスシートは連続券しか販売されません。通常、ハリウッドの資産家や企業などが4〜6人座れるボックスを買い取り、社員や顧客にプレゼントします。ほとんどのボックスシートでは、開演前に小さなテーブルを持ち込み、ワインやディナーを注文してパーティーを楽しむ光景が見られます。現在の所有者が優先的にチケットを購入するため、ボックスシートは毎年売り切れで、チケットの入手は非常に困難です。

 これに対してベンチシートはボックスの後方になるため、視覚や音響の面で問題がありますが、最低価格は1ドルからと、誰でも気軽に楽しめる価格設定になっています。

 公共交通機関の少ないロサンジェルスでは、駐車場が不可欠ですが、巨大なハリウッドボウルは収容人数に十分な広さの駐車場がありません。限られたスペースを有効に使うため、公演時には車をぎっしり詰め込んで駐車します。そのため途中で退席しても車は動かせません。初めて行かれる方は十分ご注意下さい。

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エイヴァリー・フィッシャー・ホール(ニューヨーク、アメリカ)


エイヴァリー・フィッシャー・ホール 
ミュージカル、ウエストサイド・ストーリーの舞台になった、セントラルパークの西側は、現在リンカーンセンターとして、アメリカのパフォーミング・アートの殿堂になっています。その一角にニューヨークフィルの本拠地、エイヴァリー・フィッシャー・ホールがあります。1962年創立当初は音響の悪さで有名でしたが、長い年月をかけて改修し、現在ではニューヨーク有数のコンサートホールになりました。ホワイエにはニューヨークフィルのメンバーの顔写真を始め、バーンスタインの写真やブルーノ・ワルターの指揮棒など、ニューヨークフィルの歴史を示す物がたくさん展示され、お客さんの目を楽しませています。冬期にはホール特製ののどあめをお客さんに配り、演奏中の雑音を少なくするなど、気の効いたサービスもあります。

 ハイドンフィルは94年にこのホールで行われた、モーストリー・モーツアルト・フェスティバルで、アメリカ・デビューを飾りました。フィッシャーさんは今年の8月6日にも同じフェスティバルに客演します。

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ハンガリー国立歌劇場(ブダペスト、ハンガリー)


ハンガリー国立歌劇場 
ブダペストの繁華街、アンドラーシュ通りに面したハンガリー国立歌劇場は、旧東欧圏有数の伝統を誇ります。

 1885年に落成した馬蹄形の劇場は、開設当初から約2400人の観客を収容し、防火設備も完備した画期的な劇場でしたが、1980年代に舞台機構などを大幅に改装し、100周年の再オープン後は約1300席になっています。ヨーロッパでも優秀な歌手陣か出演するオペラハウスとして知られており、改装時のこけら落としシーズンには、パヴァロッティやドミンゴを含む豪華キャストが多数出演しました。

 1888年から数年間、作曲家のマーラーが音楽監督を務め、黄金時代を築きました。以降、リヒャルト・シュトラウス、フルトヴェングラーなどの巨匠が指揮台に立ち、伝統を築いてきました。劇場付きのオーケストラはブダペスト・フィルハーモニーで、ハイドンフィルのメンバーも数名所属しています。

 フィッシャーさんは少年時代、国立歌劇場の斜向かいのアパートに住んでいました。弟のイヴァンと共に、国立歌劇場の児童合唱団に所属し、多くの有名歌手と共演する機会に恵まれました。「カルメン」など、最初と最後にしか出番の無い時は、衣装を着たまま家に戻り、夕食を食べてから再び舞台に出ることもあったそうです。また、モーツアルトの「魔笛」では、三人の子供たちの内、最も難しい第三番として出演しました。

 意外にも、指揮台に立ったことはまだありませんが、この3月には、バルトークの「青髭公の城」でデビューを飾ります。

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東京文化会館(東京、日本)


東京文化会館 
上野公園内にある東京文化会館は、1959年に、東京開都500年記念事業として着工し、61年に完成しました。以来長い間、大都市東京のクラシック音楽の殿堂としての役割を果たしてきました。当時としては珍しいオペラ劇場様式、五階建ての建物に、約2300の客席を収容します。東京都交響楽団のリハーサル室や音楽資料室等も付属しています。

 音響はとてもクリアーで、ステージの音がホールの隅々まで響くと評判でしたが、客席が狭かったり、舞台や楽屋の設備が不十分である等の問題も多く、この4月から大幅に改装されることになりました。再開は1999年を予定しています。

 日本のオーケストラのみならず、過去に東京を訪れた数多くの有名オーケストラやオペラ座がここで公演しました。昨年のニューヨークのメトロポリタン・オペラの「コシ・ファン・トゥッテ」は記憶に新しいところです。いつの頃からか、来日した出演者たちが舞台裏の壁にサインを残す風習ができ、2000近いサインが残されています。中には、ウイーンフィル、ミラノスカラ座、ベルリンフィルなどのメンバーや、帝王カラヤンの直筆のサインもあります。当初の計画ではこの壁も塗り替えられる予定でしたが、惜しむ声が多く、改装後も残されることになりました。

 フィッシャーさんは、1984年の初来日での「青髭公の城」以来、東京都交響楽団を指揮して度々名演を残しています。今年の2月の客演時には、舞台裏の壁にもサインを残してきました。

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オペルンハウス(チューリッヒ、スイス)

 
Opernhaus Zurich 
スイス最大の都市チューリッヒはドイツ語圏に属し、リマト川沿いの教会やローマ後期の城壁跡リンデンホフなど、歴史と文化の街として知られています。オペルンハウスは中央駅から市電で10分ほどの所にある、ネオバロック調の豪華な劇場で、1891年の完成当時の様式を残す、シューボックス式の客席に、約1200人を収容します。チューリッヒ湖にも近く、休憩時間にはバルコニーから素晴らしい湖の夜景を楽しむことができます。

 数年前に改装された舞台装置を活用し、9月初頭から7月中旬まで、ほぼ毎日公演があります。毎年十演目以上の新制作を行い、チェチリア・バルトリ、エディータ・グルベローバなど、世界第一級の歌手も出演する、ヨーロッパ有数の歌劇場です。

 オペルンハウスは1992年以来フィッシャーさんの活動の中心で、年間20公演以上指揮しています。

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メトロポリタン・オペラハウス(ニューヨーク、アメリカ)

 
MET by night
 大都会ニューヨークが世界に誇るメトロポリタンオペラハウスは、ウエストエンド地区のリンカーン・センター内にあります。オペラハウスに向かって左側にはニューヨーク市立劇場、右側にはニューヨークフィルの本拠地、エイバリー・フィッシャー・ホール、64番街を挟んでジュリアード音楽院とアリス・タリー・ホールと、この一角はクラシック音楽の殿堂になっています。オペラハウスは立ち見も含めて4000人以上を収容し、パリのオペラ・バスティーユと並んで世界最大規模を誇っています。

 10月から4月のシーズン中には約20の演目を日曜以外毎日(土曜は午後と夜の2公演)上演します。ここでは出演者以外にもたくさんの技術スタッフ、コスチューム・デザイナー、お針子さんなどが24時間勤務しています。

 通常の舞台の他に、その左右、後方、地下の合計5つのステージがあり、4幕ものの作品でも、あらかじめ全てのセットを組み立てることができます。また8つのせり設けられ、舞台を立体的に使うことができます。
 巨大な観客席にもかかわらず音響は素晴らしく、最上階の席でも舞台上のピアニッシモが聞こえるように設計されています。

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エステルハーザ (フェルトード、ハンガリー)

エステルハーザの音楽の間  アイゼンシュタットの西約30キロ、ハンガリーの小都市フェルトードには、ハイドンのパトロン、エステルハーツィー家の夏の離宮、エステルハーザがあります。城の規模はアイゼンシュタットのものよりもはるかに大きく、ハンガリーのベルサイユとも呼ばれています。

 ハイドンの当時には、宮殿から独立したオペラハウスがあり、ハイドンのオペラのほとんどはここで初演されました。残念ながら戦災で焼失し、今は跡形もありません。

 宮殿内の音楽の間は、宮殿を訪れた女帝マリア・テレジアが演奏を楽しんだことで知られ、ハイドンが告別交響曲を初演したことでも有名です。ハイドンフィルもここで何回か演奏していますが、会場が狭いので、普段は室内楽が中心です。

 宮殿の2階の大広間に続く部屋は、ハイドンの遺品などを展示した博物館になっています。ここには、フィッシャーさんのハイドンのLPレコードの展示されており、20年近く前の若き日の姿を見ることができます。

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志度音楽ホール(香川県志度町、日本)

 東京から西に約700キロ、瀬戸内海に面した香川県志度町は、ハイドンの街、アイゼンシュタットの姉妹都市です。両都市とも音響の良いコンサートホールがあることがきっかけで、1993年に関係を締結しました。その数年前に竣功された志度音楽ホールは、約500人を収容する、クラシック音楽専用のホールです。ハイドンザールのような美しいフレスコ画や長い歴史はありませんが、フランスの有名なフルート奏者、ジャン・ピエール・ランパルが名誉館長を務め、毎年このホールでリサイタルを開いています。ランパルはこの功労により志度町の名誉町民として表彰され、ホールの近くのランパル広場には彼の銅像が立っています。

 このホールを舞台にハイドンの演奏会が多数開かれていますが、ハイドン・フィルハーモニーは1993年10月の第1回のハイドン音楽祭に出演し、ランパルをソリストに迎えた、モーツアルトのフルート協奏曲や、ハイドンの交響曲などを演奏しました。この模様は日本全国に放映され、大好評でした。

 このホールは高台に位置しており、ロビーの窓からは美しい瀬戸内海の風景が楽しめます。客席には傾斜がついていて、後部の座席でも十分楽しめるように工夫されています。また、オーケストラの楽屋がロビーに面しているため、コンサート前や休憩時間に燕尾服を着た楽員と観客が交流するなど、他のコンサートホールでは珍しい光景も見られます。

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ナショナル・アーツ・センター(オタワ、カナダ)

ナショナル・アーツ・センター  オタワのNACオーケストラの本拠地、ナショナル・アーツ・センターは、オタワの中心地、リデュー運河沿いに位置しています。カナダ建国100周年を記念して1969年6月2日にオープンした建物には、オペラ(2,326席)、シアター(969席)、スタジオ(300席)の3つの劇場、地下駐車場、レストランなどがあります。

 NACオーケストラのコンサートシリーズが開かれるオペラの客席は、列ごとに互い違い設計され、舞台が見易いように工夫されています。また、中央の席が1番で、舞台に向かって右側が偶数席、左側が奇数席になっています。初めは多少混乱しますが、ルールを知っていると、座席表を見なくても席を探せる利点があります。音響もよく、多目的ホールとしては素晴らしいホールの一つです。ただし列の中央に通路が無いので、若い番号の席の人が遅れてくると、その人を通すためにたくさんの人が立ちあがる事になります。

 舞台への出入口のすぐ近くには、快適な指揮者控え室があり、ピアノ、オーディオ装置、シャワー等が供え付けてられています。また、舞台裏にはオーケストラが使う小さなカフェテリアがあり、開演前には楽員で賑わっています。廊下には今までに共演した指揮者やソリストの写真が飾られ、NACオーケストラの優秀さを物語っています。

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アトランタ・シンフォニー・ホール(アトランタ・アメリカ)

 アトランタ交響楽団の本拠地シンフォニーホールは、アライアンス劇場、ハイ・ミュージアム・オブ・アートとともに、コカ・コーラの初代社長を記念した、ロバート・W・ウッドラフ芸術センター内にあります。1800の客席はスペースが広く、ゆったりした反面、反響が少なく音響的に多少問題があります。ステージの前に高さ調節可能な補助ステージがありますが、一般の演奏会では使用されず、ステージと客席の間に大きな空間ができてしまいます。そのため客席後方から見ると遥か彼方で演奏しているように感じられます。また、演奏者にとっても聴衆の反応がわかりにくいので、あまり好評ではないようです。

 95年10月はオリンピックを前にしたイノベーション中でしたが、実にアメリカ的な広々としたホールという印象でした。

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リスト音楽院大ホール(ブダペスト、ハンガリー)

リスト音楽院大ホール  ハンガリーの有名な音楽家といえば、リストを忘れることはできません。そのリストの創立した世界的に有名なリスト音楽院には、ハンガリーで一番音響の良いコンサートホールがあります。建物の正面には椅子に座ったリストと音楽を奏でる天使の像があり、近くを歩くと学生の弾くピアノの音が聞こえてきます。

 ブダペストの繁華街ペスト地区にあり、オペラ座からも歩ける距離です。3階建ての客席は約1800席あり、舞台の後方にはコーラス用の席が常設されています。このコーラス席は、使用しないときは公開することがあります。ここはサントリーホールよりも指揮者に近く、なんだかオーケストラの一員になった様な気がします。

 このホールは、ハンガリー国立交響楽団、ブダペスト放送交響楽団、ブダペスト祝祭管弦楽団などが本拠地としています。

 

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